逢瀬


 その日の朝から、シゼは上機嫌だった。
 どことなく足取りは軽く、表情も明るい。かねてよりほほえみを絶やすことのない人物ではあったが(内面の情動と表情の連動における関係性の議論はここでは避ける)、今日の彼女はひと味違ったのである。

 明け方のことである。
 リューンの方から“雲海の大窯”亭のある界隈に向かう石畳の上を、数人の男たちが歩いていた。一人は一房だけを伸ばして編んだ短髪の男、いま一人は奇怪な仮面をかぶった男、最後の一人は腕人形をはめた青年だが、最後の一人はずいぶんと酔いが残っているようで、半ば眠り込んだところを仮面の男に引きずられるようにして歩いていた。腕人形など、素知らぬ間に落としてしまいそうだったが、面妖なことに、人形がゆるみ落ちそうになるたびに、偶然男の腕が跳ね上がるので、決して抜け落ちることはないのだった。
 そんな奇妙ななりをした男達は、いずれも月夜鴉が遊び歩いた朝帰り、といった風情で、道を行く様子もどこか気だるい。
 ふと、先頭をゆく一人が道の先に立つ物陰に気づいた。それは黒い喪服をまとった女の姿をしており、さらによく見れば、同じ宿の冒険者であった。相手もこちらに気づいたと見えて、おっとりとした会釈が一行に向いた。
「おう、シゼじゃねえの。今日はやけに早いじゃねえか」
 腕人形の主の腕を背負い直しながら、仮面の男が声をかけた。人形遣いがむにゅむにゅと言葉にならない声を漏らす。
 黒衣のシゼはあらあら、と手を添えて笑って、
「ごきげんよう。今朝はどうしたことか、目がすっきり醒めてしまって。一度起きてしまうと寝付けないものだから、朝の空気を吸いに出ていましたの。
 そちら様は遊び帰りですかしら。今日はシノギはいないのね、珍しい」
「シノギか。シノギねえ、」
 一房編みの男が苦笑し、仮面の男が苦く唇をゆがめて嘆息、人形遣いが目を閉じたまま、ううんと唸り。
「あいつ最近俺らに付き合ってくれねーんだよ。あーああ、俺らの友情も終わりかもしれねーなー、女が出来るってのはああ言うもんなのかねえ、詰まらねえ」
「仕方ないだろ、そんなことを言って、どうせお前だって男の友情より女の膝をとるさ、気持ちよさが――失礼」
 一瞬話題が下世話な向きに流れかけて、気づいた編み髪が謝罪の形に指を組んだ。異国風の謝罪をシゼは軽く受け取って、
「ふふ、あなた方も決まった相手を早く見つければ宜しいのに。案外、夜に出歩く腰も落ち着いて、よいものかもしれませんわよ?」
「けっ、女に首輪つけられるのなんざごめんだね。俺ァ自由な男なの」
「はいはい、御説は承りましたんでまずは寝言ァ顔洗ってから言え、仮面に縛られた男めが」
「相変わらず仲良しね」
 シゼの言葉に、男二人が渋面になった。
「うん、おれたちなかよしー」
 首を前後に揺らしている腕人形の男が、妙に甘い裏声で呟いたので、男達の顔がさらに渋みを増した。心底面倒臭いといった重みでため息した仮面は、
「こいつは変なタイミングで呟きやがって……じゃあ、俺らはこいつ寝かしつけてくるわ。いい加減重いんだよパピオ」
「ええ、それではね。いや、おやすみなさいかしら。ともかく、お気をつけて」
 すでに背を向けて歩きだした仮面は、背中越しに手を振って見せ、編み髪が会釈してから歩き出す。
 この時間は表口が開いていないので、二人と一人は宿の勝手口へ回り込んだ。夜遊び上手どもにとっては、通いなれた道である。油の注しが足りない木戸をくぐると、次に続く軒下の狭い道を進むために、編み髪が眠っているパピオの肩の下に腕を入れた。眠る相手を背負い込みながら、ふと思い出したように編み髪が、
「ああでも意外だよなあ。話の流れとはいえ、シゼがあの手のすすめをするなんて、私は始めて見たよ」
 パピオの腕を引っ張って、少し力のこもった声で仮面が応じ、
「あのトリガーハッピーだってたまにゃ気分も変わるって話だろ。意外って言葉は、あいつがもっと派手な格好でもしてぶりぶり恋愛トーク!ぐらいじゃねえと使えねえよ」
「それは異常だな。恋愛の相手が人間だったらなおさらだ」
「だろ」
 その時は、わずかな違和感を残しながらも、それだけで終わった。 目の前の寝床に比べれば、それはまだ、目をつぶれる程度の違和感だった。


 その後の目撃談である。
 いわく、井戸端で水をのぞき込み、悩ましげな眼差しをする。
 朝の光を見つめて、そっとため息をつく。
 彼女の化粧のノリが今日は非常によい。
 何より不可思議なことに、それらの異常の全てに、彼女の愛銃達が関わっている様子がない。
 こういった情報が冒険者のおのおのに降り積もってゆくにつれ、小さな波紋が生じていった。


 “雲海の大窯”亭、ここは冒険者の宿である。そして、時に依頼を共にこなしもする冒険者たちが集う宿である。
 従って、誰かの異変が自分の仕事にも関わってくることもある。
 となれば、依頼の外の日常においても、冒険者同士は案外に互いをみているものだった。もちろん、今日のシゼの小さな異変も、大概の者が気付き始め、徐々に情報共有を行っている。
 そして、――ここが大事なことなのだが――冒険者とは、たいていが物見高いものである。
 それもあって、仕事はある程度はけた後、そして昼食にはだいぶ早い、そんな半端な時間帯にもかかわらず、宿のテーブルは大にぎわいだった。仕事に出ているものや他人への興味が薄いもの、昼間は寝ているものなどを除いたとしても、なかなかの人数が揃っている。
「あれは恋じゃよ恋、フォーリンラヴ。わしの勘がそういっとる。見たかね、あの切なげなため息を。今朝から何度も繰り返しておる。ふふん、こりゃ間違いないな。あの小娘、わしのせくしーさにようやく気づきおったわい」
 とドワーフの老爺がもっともらしく頷いて一同から盛大なため息、突っ込みを食らった。その向かいで肘をついた亜人の娘があきれ顔で吐息して、
「他人の恋路に乗り込む奴は、黒猫に呪われて不幸になればいいよ私が許す」
 コーデリアは老人に厳しいのう、とわざとらしい泣き演技の相手を無視して、彼女の言説は続いた。
「私の見立てじゃさあ、恋は恋でも相手は別宿の冒険者よ。ほら、私たまに銃弾仕入れにいく店があるんだけど、前シゼに教えてもらったとこで」
 と、彼女の横に座る白装束の娘が、ぴんときた様子で、緑髪を揺らした。
「ああ、こないだ一緒に行ったとこだよね!ひょっとして、あそこで見かける銃士さん相手とか?」
「そうそ、見かけたでしょ、男二人組の冒険者の片方。あれ、なかなかの銃使いだよ。腕利きね。シゼさんならそういう観点で惚れてもおかしくないでしょ? たまに一緒に話してるとこ見かけるしさ」
「そうね、きっとそれだわ!銃使いに銃使い、お似合いで素敵じゃない。今日はきっと初めてのデートなのね!」
 少女たちは頷き合い、手を握ってはかまびすしい。なお、少女の「デート!」という叫びに、遠くの卓から、何やら食器を取り落とす音とくもぐった呻きのようなものがきこえてきたが、卓の一同はそれを無視して――というより、この手の話題では触れるとやけどすると
認識されている存在だったので――話を進めにかかる。
「なるほど、お二人はその別宿の冒険者さんと何か予定でもあるんじゃないか、と。そういうご意見ですね。……どなたか異論はありませんか?」
 石版に目を近づけてメモを取っていた学者が総括すると、応ずる声はその傍らからすぐにあがった。
 ないない、とぱたぱたと手を振ったのは夕間暮れの紫瞳持つ少女で、
「シゼが男と甘いムードだなんて、想像できねえって。ありゃ工場の方に新しい銃でも入ったんじゃねーかなあ。出会いは出会いでも、新しい銃との出会いだよ」
 と持論を展開する。かと思えば、いかつい仮面で顔を隠した妖精が、思慮深い様子で、
「そういえば私、この間シゼさんに独自調製のガンパウダーの試用をお願いしたんですよ。そろそろ使って頂ける頃合いですから、ひょっとしてそれを楽しみにしてくださっているのかも」
 思いの外細い声には、いやいや、それこそねえよ、といくつかの反論が被さってゆく。
 お昼前の“雲海の大窯”亭は、そんな風ににぎやかな時間を過ごしていた。


 さて、そんな時である。渦中の人物が階段を下りて姿を現した。喧噪にあふれていた卓も、その彼女の様子に気づいた冒険者から、一人ずつ押し黙る――もちろん、それは当該人物を噂の種にしていた事への罪悪感でも恐れでも遠慮でもない。今更そんなもので大人しくなる冒険者達ではない。“それ”は、もっと強く大きな異変の匂い――冒険者をして何かの始まりを悟らしめるいわゆる一つの落下林檎だった。
 そして、“それ”による影響を受けたのも、冒険者達だけに限った事ではなかったのである。
「ご亭主?わたくし少し出て参りますわね。夕食までには戻りますわ――ひょっとしたら、もう少し遅いかも。できるだけご迷惑をかけないようにいたしますわね」
 奇妙な静寂の中、纏う空気だけは常と変わらぬシゼが、カウンター越しに亭主を呼ぶ。それにあいよ、と答えかけた宿の亭主も途中で言葉を凍らせた。シゼに視線を向けていた冒険者一同と、全く同じ反応であった。
「あら、どうされましたの、妙なお顔」
 周囲の様子を分かってか分からいでか、シゼはいつもの笑み顔のままで、会釈を残してその場を辞していった。ようやく蘇り始めたざわめきの中、彼女が扉を開けようとする直前に扉が勢いよく開かれて、小柄な影が宿の中へと飛び込んだ。
「お散歩からただいま戻りま――あ、シゼさん、ごめんなさい!扉、驚かせませんでしたか?」
 走ってきたのか、わずかに頬を紅潮させた少年は、直前で立ち止まっていたシゼに詫びた。そのいかにも育ちのよい見目をした少年は、足下に一匹のチワワを伴っており、今日はちょうど足下の彼の散歩につきあってきたところばかりだった。
 シゼの方はといえば、さすがは反射神経の優れた銃士の面目躍如といったところで、扉の動きを察知したとたんに安全な場所へと待避しており、
「私なら大丈夫よ。でも次からはもう少し静かに扉を開けた方が良いわね、シースリィト」
「本当にごめんなさい、次から気をつけます――あれ?シゼさん、何だかいい匂いがする」
 少年はくん、と子犬のように空気のにおいを確かめて、不思議そうな顔をした。
「ふふ、ただの淑女の嗜みよ。それじゃあ、私は失礼するわね。ああ、散歩の後の汗はちゃんと拭わないと、風邪を引くわよ?」
 はあい、と元気ないらえを返す少年を背に、シゼは躍り出るようなステップで宿を辞した。
 ぱたん、と扉が翻り、軋みをあげて閉ざされる。
 おもむろに口を開いたのは、シースリィトの足下のチワワ、ルキアノスだった。彼はまるまるした瞳を無理矢理細めると、
「あの香り――間違いない、ムスクだな。よく分からねえけど香り草も少し混じってる。俺の鼻にかけて言うが、あれは結構な上物の香り水だぜ。あの格好をみた後で言っても、面白味が薄いがな」
 ほう、と一同がざわめいた。その中で、ドングリをもてあそんでいた少女がこくりと首を傾げ、手近にいた少年に尋ねる。
「ナリオ、ムスクって何?」
「香料の一種だよ。香りを強める効果もある。東方からの交易でしか手に入らないから、あれが入ってる香り水はなかなか高級なんだ。ふうん、ていうことは、シゼさん結構本気モード?なのかな?」
 ふーむ、ともつれ髪の少年は腕を組んだ。踊り子の少女も首肯し、
「シゼさん、素敵だったよねー。あの人、元が綺麗なこともあるけど、姿勢も動作の軸も整ってるから。ああやって女の人が本気で装うのって、やっぱり恋愛事としか思えないわ」
「結論を出すには我々の持つ情報はかけていると思う。ただ、尋常ではない事態が起きている、ということは確かなようじゃないか。なんといっても」
 一同の視線が声の主に集まった。声を発した傀儡芝居打ちの青年は、普段の興業さながら、劇的な溜めをとり、手を広げて見せた。
「――あのシゼが、黒衣を脱いだのだから」



<続く>



初出: 2012/02/02 http://www.twitlonger.com/show/fmj9t5




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