封印


 衣擦れの音が静寂に落ちた。
 石室の中、中央に据えられた安楽椅子。そこに座す老人の前にひざまずき、火狐の女は彼を振り仰いだ。

「人の聖者の教えにいわく。悪徳の街から逃げ延びた家族のうち、街を振りむいた妻は、塩の柱に身を変えられてしまったのですよね」

 呟いた言葉は小声だというのによく響いた。
 この部屋では、塩が全てを静謐に封じ込めているからだ。
 火狐の女、アウレラの手において、塩とは命の糧であり、死を与える武器であり、永遠の担い手であった。彼女の手にあれば、塩は生命すら永遠の棺に閉じ込めるものとなった。
 椅子に座す老人こそが、その証左である。年老いた狼人は、居眠りをするような佇まいのまま、その身に塩をまとっていた。彼の午睡はもう醒めない。

「何故、あの時振り向いたのですか。貴方なら、」

 身をゆるゆると倒す。
 服従を示す獣のように、火狐の女は老人の前に身を伏せた。赤くうねる髪が、海のように石床の上を波打った。髪に絡めた装飾がぶつかり合う、かすかなたまゆら。
 オーロラを映した瞳が、狂おしく彼を見上げた。

「――貴方なら、気づくことができたでしょうに」

 それが生者に向けられたものなら、その言葉の熱に、言葉を返さずにいることは難しかっただろう。
 だが、永遠に封じられたものが彼女に応じることはない。それは、老人が永遠に保たれ続けることと同様に確からしい事実だった。
 火狐は一時の激情を払うように顔を伏せる。
 髪の狭間に瞳の熱は埋もれ、火狐はしばらく嗚咽した。
 音は、やがて塩の中に消えてゆく。
 やがて、彼女は眼差しを伏せたまま、裳裾に戯れる子供のように、老人の足元にすがりついた。

「ねえ、ご存知でしたか。街から逃げ伸びた家族は、もう一つの禁忌を犯します。父を愛した娘は、企みと共に願いを成就させるのです」

 狐の鼻づらは音もなく彼の足の甲に触れた。僅かな湿りに、老人のまとう塩が僅かに潤んだ。
 火狐は目を細め、押し殺すように言葉を紡いだ。

「……私は、貴方の親愛を裏切ります。かつても、今も、……そしてきっと、これからも」

 うわごとめいた言葉に身が震え、彼に伸べた手からはぱらぱらと、白い粒がこぼれ落ちた。それらは彼女の赤い毛皮にくるまれ止まる。
 アウレラは指を引き、毛皮についたその塩粒に舌を這わせた。
 塩の味。
 血の味に、涙の味にそれは似ている。
 天井、くりぬくように作られた丸窓からは、御使いの影のように午後の光が落ちていた。


<END>


初出: 2012/8/17 http://www.twitlonger.com/show/it3hoe
「4分以内に2RTされたらアウレラが切なげに足の甲に隷属のキスをするところを描き(書き)ます」
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