密会


 しんと凍りついた空気の中を、一人の少年が歩いていた。彼が呼びだした魂誘い<ウィスプ>のともし火が、石積みの迷宮の中、青白い光のうちに先導する少年一人の影を揺らしている。
 追随する彼女の影は、その光から生まれなかった。なぜなら彼女は怨念であり、伝説であり、恐怖の宿り子、物陰で語られるものの化身であったから。はなの名で呼ばれる彼女に、もし影があるとしたら、その背に裾に、ひそやかに蠢き潜む無数の手こそがそれにふさわしい存在であったろう。
 やがて二人がゆくその通路は、一つの石室に行きあたった。先程までの道に比べれば天井は高く、丸く膨らみを持たせて整えられていた。積まれた石はいずれも古い。これまでの通路同様、人の暮らす様子はうかがえないのに、どういうわけかこの部屋ばかりは埃が降り積もった様子がなかった。先をゆくユリアは怖れ気もなく歩みを進め、はなもそれに従う。入口のアーチをくぐる時、そこに古い時代の言葉で邪教めいた文句が刻まれているのを、はなは見逃さなかった。装飾模様にこそ擬されてはいたが、それは死霊と語らう者が編んだ、眠らぬ死者のための祈祷文だ。
「この部屋」
 ユリアは石室の中央に進み出ると、少年にいざなわれて以来、沈黙を続ける彼女を振り返った。
「――僕達のような存在にとっては、心地よい空気だと思いませんか」
 ここに至るまで、常と変らず眉尻を下げたままのはなに、ユリアは口元を柔らかく解いてみせた。少女めいた装いの彼の笑みは甘く、薄暗がりによく似合った。
「……貴方は人間ですよね……ユリアさん……」
「貴女にそういってもらえるのは光栄ですが。死霊に親しんでゆけば、自然、馴染む空気も変わってくるものですよ。僕のような若輩でさえ」
 ユリアは見上げた少女に肩をすくめてみせた。肩口に魂迷い<ウィスプ>を浮かべたまま、彼は大仰に手を広げ、
「ここは僕の一族の隠し工房の一つです。もう少し奥に入れば、屍を眠らせ保存するための土溜めもありますよ。
 この部屋は、死霊を留め、怨念をなだめ、駆け抜ける時を抱きとめる為の部屋。はな、貴女と語らう には良い場所かと思って選びました」
 お気に召して頂けるとよいのですけれど、と呟くと、ユリアは魂迷い<ウィスプ>を軽く弾いた。亡霊の炎は質量を持たない動きで天井に昇り、とろとろと儀式場へ光を落とす。
「……そもそもの、私にお話って……なんですか…ユリアさん……」
 はなはようやく言葉を絞り出した。
「そんなに緊張するようなものではありませんよ。まずは僕の夢に耳を傾けてはくださいませんか」
 者を語ることになれた、妙に大人びた口調で、少年は
 それは、暗闇に潜む者たちの祈りだった。
 一瞬を永遠に引き延ばし、刹那の堆積のうちに溺れる者たちの。
 忘れ得ぬ者にとりすがる者たちの。
 そしてそれら全てを棄却する者たちの。
 それは、夜を昼のように歩く者の切望であり、祈りだった。あるいは、
呪いでもあったかもしれない。ユリアが語る夢とは、つまり、そういったものにならざるを得ない種類のものだった。
 彼が口にした望みは、いびつで純粋な、途方もない夢想だった。しかし、その中に一本骨を通すような確かな切望と確信があることを、耳を傾けた少女には見いだすことができた。もしかしたら、語り手が少女と少年の狭間に装う彼だったからこそ、その幻想めいた言葉に生命を吹き込むことができたのかもしれなかった。
 一通りの望みを語り終え、少女めいたシルエットが、無言を保つ彼女へ振り向いた。つややかに手入れされた髪が軽やかに揺れ、魔術のともし火に暗く映える。色白の頬は興奮に血の色を滲ませていた。鮮やかな命の炎、それは陰の世界にあったとしても。
「ねえ、はな。僕は貴女が欲しい。どうか僕の手を取ってください、そして、一緒に世界を変える旅に出ませんか」
 その誘いは、拒まれることを知らぬ、幼くとも貴族らしい傲慢さで彩られていた。差し出した手がはねつけられることなど、微塵も想定していないような、人の上に立って生きてきた者の佇まい。
 だが、真実が言葉の上にだけあるものではないとも、はなは知っている。
 彼の足が僅かに震えていたのは、儀礼場の寒さによるものではないことも。
 差し出された細い手が、普段よりも冷たかった理由も。
 そして、ーーその手をとったとき、壊れものを確かめるようにこわごわと、そしてその壊れものが流れ去ってしまうのを引き留めるように強く、握り返されたことも。
 はなは知っている。そして、これからも忘れない。
 今、自分を見つめる目の前の人の表情も。きっと。

「……ユリアさん……」

 怪異語りの少女のその背から、怨念の化身たる無数の黒い手が浮かび上がり、少年の手に伸ばされた。
 ー契約せり、我ここに契約せりー
 少年に触れるたび、怨念として宿る何かの無数のささやき声が契約を誓い、触れた手から順に崩れて床の陰に沈みゆく。沈めば、そこには何があったとも悟らせぬ空虚があるばかりだ。
「……これは」
 さすがに驚きを隠し得なかったらしく、わずかに目を見開くようにしたユリアに、穏やかな気持ちが喚起される。
 ユリアがとっさに起動直前まで防御術を編み上げていたことも、はなには読み取れていた。それでも反射的な行使にいたらず、あくまで起動待機に留めていたことにも。
 先程の誘いに重ねて、さらに確認した事実に対して。
 少しばかりうぬぼれを感じても、構わないとはなは思った。
「ユリアさん、」
 誓約の声はまだ終わらない。陰に潜む怨念の子らはおびただしい。半身ともいえる彼らの誓いの声を聞きながら、はなは口を開く。
「これからもーーよろしく、おねがいします」
 重ねた手、それをわずかに指を絡めるようにつなぎ替えて。
 少女は少年に微笑みかける。
「どうか、……末永く」
 この手を離さないでいられますように。
 暗がりの中で確かに誓約はなされ、密かな会合は少女の祈りを飲み込んで、ゆっくりと閉じていった。


<END>


初出: 2013/1/11 http://www.twitlonger.com/show/km7msb




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