地下室の契約者
-ある星の行く末の一つの小枝-


 祖父が死んだ。
 大往生と言ってよい。病を得たわけでも、傍らに侍る魔に蝕まれたわけでもなかったし、燃え盛る薪の上で絶えたわけでもなかった(祖父は、確かに魔女めいたところのある人物であったが、幸いなことに、既に時代の風は変化していた)。
 血縁者を葬るのは初めての経験であったが、自分でも手際良く進めたものだと思う。魔術師などと親しく交わるものが少なく、従って、弔問客の相手をせずに済んだのが大きかった。祖父の弟子たちの弔問も、使い魔を介したそれだけであったし、魔術師は何より虚礼を嫌う。滞るわけもなかった。
 祖父の弔いを終えると、私は祖父の遺言の執行にあたった。祖父は既に死期を察していたのか、私に委ねられた物事は少なかった。それでも、殆どの案件を対処するのには時間がかかった。私は五日間を働き、一日を休んだ。

 祖父が死んで七日目の朝、私は最後の遺言を果たすことにした。
 厳重に屋敷を施錠し、魔術的な守りを更に重ねる。高位儀式向けに特別に仕立てた術衣に袖を通し、時間をかけて護符を選んだ。思案を重ねて薬草と術石を懐に仕込み、遺言から察せられる幾つかの状況を想定して、その全てに対処できることを確認した。そこでもまだ不安があったので、茶を淹れて一服する。落ち着いた。
 私は地下室の階段を下りて行った。魔術の師である祖父が、唯一の血族となった私、最後の直弟子である私にも、立ち入りを禁じていた場所である。祖父が存命のうちに、ここの魔術封印を破れなかったことが、今も残る悔いだった。祖父が真実私に立ち入りを禁じるつもりでいたのなら、彼は魔術封印の存在すら、私に気づかせはしなかった筈なのだ。未熟な術師は、師匠の遺した手引書を解読しながら進むしかなかった。
 複数の古代語を、重ねられた暗号を読み解き、私は祖父の封印を砕いて行った。緻密な術構造がほどける様こそ、葬送の花に他ならなかった。
 そうして、最後の扉が開くのを、私は息を詰めて見守った。

 その部屋は、光を受け入れぬ闇に閉ざされていた。手燭代わりに従えていた術灯の光も、その部屋には全く届かない。
 だからまず私が知覚できたのは、肌に触れるとろりと濃密な魔力だった。部屋の奥から流れ出すそれは、土と天<そら>の気配と読める。探れば、残り香のように祖父の気配があった。敵対する力は感じない。
 それでも杖の構えを解かぬ私の眼前で、二つの炎が生まれるのが見えた。
 熱量の無い、青白い光は、やがてのっそりと立ち上がった。
「当代の継承者は、随分と手間をかけたようだ」
 存外に流暢な言葉が響き、“それ”が身震いする気配がした。
 とっさに私は杖から守りの術を引き出したが、それが形を結ぶ前に、部屋の闇が払われた。
「攻撃を得ると分かっての行動なら、反応は遅い」
 祖父によく似た言葉を発した存在から、私は眼を離せなかった。

 それは、獣であって獣ではなかった。
 輪郭として一番近いのは狼か大型の犬といったところで、足は太く、足裏は手のひらほどに大きい。瞳は磨いた石のようで、その奥にある輝きを見れば、先程の闇の中の炎はここに宿っていたものと知れた。
 一番の奇異は、その獣がどうやら肉と毛皮ではなく、石と金属で形作られていることだった。私は初め意識あるゴレム<泥人形>の類と推察したが、獣の滑らかな動きと、獣の構成物がどんな動きによっても崩れ落ちることがないことから、その思考を懐疑した。私の魔術筋の方法論では、ゴレムの体組織のコントロールまでは難しい。

 気がつけば、その獣は目前にまで歩み寄っていた。鼻先で私の杖に触れる。石の魔獣は、私を脅威と認めておらぬようだった。
「お前の祖父はエレンドゥラーグ<星狼>と吾<わたし>を呼んだ。遺児よ、お前は吾<わたし>をいかに呼ぶか」
 私は問うた。
「お前へ名を与えるのに、私は相応しいのか」
 魔獣は目を細めた。存外に人間らしい仕草だった。
「お前自身が吾<わたし>に手が届かぬと思うのならばそうなのだろう」
 あれの孫にしては随分と気弱だ、という呟きまで、不運なことに聞こえてしまった。
 そこまで言われるならば、私も奮起せざるを得なかった。初対面の魔獣に、私を認めさせてやらねば気が済まない。
「時間を寄越せ。わが師の遺したエレンドゥラーグ、私がきちんとした名前で呼んでやる」
 魔獣の表情など私には分からない筈だったが、その時彼は、僅かに楽しげに笑んだように私は思う。


 魔獣の求める名とは何か。
 私も魔術師のはしくれであるからして、単純な呼び名ではなく、本質を明かし、行く末を定める魔術師の命名を求められていることぐらいは分かっていた。勿論、祖父の名づけをそのまま用いることは出来ない。私たちの魔術筋において、名づけることは契約である。祖父の契約を上書きし、魔獣を伴とするためには、新たな名づけが必要となる。
 祖父は彼の本質を星の狼と視た。私は、彼の本質を何とするのか。


 数日を私は主に祖父の書庫で過ごした。初めの二日間で食事を取ることを忘れたので、三日目からは乾パンと干し果実を懐に忍ばせておく知恵をつけた。
 四日目からは地下に頭を突っ込んで、石の獣の魔力を解析した。五日目の朝に脱水症状を起こしたので、水筒を準備しておく周到さを覚えた。
 七日目の朝からは、私は獣の前に座り込んでいた。
 祖父の遺物を探るのでは駄目なのだ。遠目からたぐるだけでも届かない。
 相手と視線を交わし、共に語るように相手を知るのでなければ、未熟者の手は彼に届かない。七日目に、ようやくそこへたどり着いた。

 何日かが過ぎた。日にちを数える余裕はなかった。意図的かそうでないのか、魔獣からはともかく濃い魔力が溢れだしていた。魔獣自体に敵意はないとはいえ、魔術師の知覚を塗りつぶすような気配は、負荷でしかない。
 意識は茫漠となり、己の存在の輪郭すら、見失うような日々が続いた。


 私はいつのまにか夜の中にいた。
 夜にしては何かがおかしかった。見上げてみれば、空に私の知る月は無く、星々は奇妙に巨大だった。
 足元は奇妙にふわふわとして、浮遊の術を結んだ時によく似ていた。それも当然で、足元には大地がなかった。足元にも星が無数に散らばっており、どうにも落ち着かない。足元からも光が差すようなので、これも違和感の一つか、と思う。
 奇妙な夜を、私は導かれるように歩いていた。何かが訪れるような予感がある。
 遠くに、何かが見えた。
 それは恐ろしい早さで私の傍らを通り過ぎて行った。
 視線だけで追いかけると、それは、


 私はそこで醒めた。私はいつの間にか、床にあおむけになっていた。石の床が何となく温かいので、それなりの時間、私は寝ていたらしかった。
 顔に影が差した。魔獣だ。彼が私の顔を覗き込んでいる。私はもう、彼の求めるものが分かっていた。
「解けたか」
「是」
「与えるか」
「是」
 よかろう、と魔獣が頷いた。その瞳の奥に、私は見覚えのあるものを知覚した。
 渇いた喉から声を生む。
「わが師の遺したエレンドゥラーグ、今は地下にある魔獣。今よりお前の名は――」



<END>



初出: 2011/12/05 http://www.twitlonger.com/show/e14jk5




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