酒杯問答


 同窓会の夜は更けて、魔女の祭りへと漸近する。
 年少組の成人祝いの名目で始まった筈の会は、酒の酔いと夜が深まるにつれて混沌を呈していった。久し振りに生存確認がなされた夏野が、「沖縄でわけてもらったハブ古酒だよ!」と笑顔で大瓶を取り出した辺りからまずかったのではないか、と後に清水などは回想している。そんな大暴風が吹き荒れた後、今は電池が切れるようにころりと寝入った後小路を膝枕して東雲と淡々と酒を酌み交わす清水、市瀬と差し向かいで話し込む尾崎、そんな泥沼めいた遅滞の場へと変遷している。その中で、奇妙な静寂が支配する一角があった。
 牧本と、その前で正座した夏野である。
 傍らに酒器を置いたまま、牧本は普段よりぼうっとしたようなまなざしで、夏野は大型犬の機嫌の良さで向かい合っていた。
 じっと相手をねめつける沈黙を経て、口火を切ったのは牧本だった。
「夏野サンは落ち着きがない」
「よく言われる」
「まっすぐ歩かないのも、視点がすぐ進行方向とズレるからでは」
「そうかも」
「話がよく跳んで議論から脱線する」
「うん」
「すぐ文脈を無視する。それも一因」
「うん……」
 牧本による行動チェックはその後も数分ほど続いた。
 その観察と指摘の内容は、夏野の時間感覚から言葉の癖、靴のすり減り方からシャツの第二ボタンの糸のほつれまで、詳細かつ多岐に渡った。その全てを、夏野はゆるく笑みを伴った頷きを返して受けとめる。淡々とした指摘と穏やかな同意、その連続。
 牧本はふと吐息をついた。
 わずかな沈黙。
 視線が、逸れる。
「……連絡も大事にしたほがいい」
「うん」
 夏野がふと眉を下げた。
「陸路でどこまで行けるか試してみたかった、って連絡手段全部切る理由じゃないです」
 余人が気付くかどうかのレベルで牧本の声に温度が灯った。
「うん」
「――何で連絡せずに半年もいなくなるですか」
「ごめん」
「夏野サンのあんぽんたん」
「そうだね」
「あんぽんたん」
「うん」
「ぽんぽこたん」
「たぬきかな」
「たんたかたん」
「それはお酒」
「なんでこんなに絡んでるのに怒らないですか」
「君の絡み酒が可愛いから」
「酔ってますか」
「酔ってないよ」
「ずるい」
「それは否定できない」
「夏野サンはずるい」
「ごめん」
「なんで謝るですか」
「君をさみしがらせたからかな」
「疑問形ですか」
「さみしがらせたね、ごめん」
「なんでそう思うですか」
「私は君に会いたかったよ」
「答えになってないです」
「君に会いたかったよ」
「今更なんですかそれ」
「それに気づくまで半年以上かかった」 
「遅いですよ」
「うん」
「何で急に素直になるですか」
「素直じゃないと伝わらないし」
「怒れなくなります」
「怒ってくれるの?」
「うれしそうですね」
「君の気を引くのに精いっぱいなものだからね」
「うそ」
「ほんとだよ」
「だまされないですよ」
「明日の朝になったらきちんと言うから」
「何で今言ってくれないですか」
「君が今酔ってるから」
「酔ってない」
「酔ってないとしても明日で」
「逃げるですか」
「逃げないけどこういうものには手順があるんだ」
「手順」
「狼を逃がさないようにするやつ」
「はあ」
「どうだろう」
 夏野が目を覗き込んでくるので、仕方なく牧本は少し考えた。
 手順。
 確定展開はいいものだ。
 手順なら仕方ないか。
 手順は裏切らないと梅ノ木も言っていた。
 あの時の梅ノ木の役職は人狼だったけど。
 それを言うならこの人は狩人だった。
「……夏野サン」
 牧本はぎこちなく手招きをした。
「こっち」
 夏野は素直にいざって近寄った。膝を突き合わせるような距離になる。
 少ししゃがめ、と合図したら素直に頭を下げてくれた。
 やっぱりこの人は大型犬に似ている。
 わがままを言っても甘やかしてくれる大型犬の背中。
 おすわりは出来てもまてが苦手な大型犬。
 このふっとした放浪癖がハスキーに似ていて、
「…………」
 牧本は無言で夏野の頭を撫でた。
 酒の熱のせいか、ぽかぽかとしていた。
 前下がりの夏野の髪型は昔とほとんど変わっていないのに、指に絡む髪に、この人はもうあのヘアピンをつけていないのだな、と今更ながらに牧本は気づいた。昔の彼の外見を語る上で欠かせなかった赤いヘアピンは今はなく、
 ふつりと浮かんだ感覚が寂しさなのか緊張なのか、今の牧本には判じがたかった。何度か撫でまわした後、指先に少しだけ髪を絡めてから指を抜く。
 夏野が首をかしげる。
「もういいの?」
「満足した。です」
 そう、と夏野が身を引いた。
 今度は牧本の真正面ではなく、隣に並ぶように崩し膝で座り直した。
 牧本が乱した髪を、夏野はざっくりと指で掻いて直す。それは自分の名残りが消されていくようで、何となく惜しいように思った。
 牧本は自分の膝を抱え込むと、ぼんやりと横目で夏野を眺めながら呟く。
「夏野サンはハスキーに似てる」
「そう? どのへんが?」
 卓上のつまみの中から落花生の袋を取り上げ、夏野が応じた。
 言葉を選ぶのに少しの時間がかかる。だが、牧本の口から出てきたのは、先ほどまでの思考の中の、ごく僅かな部分だけだった。
「……勝手にどっか行っちゃうところ。遠くまで」
「そっか」
 夏野が苦笑した気配を感じた。
 彼は手元に落花生の袋を引き寄せると、殻を指先で潰して中身を取り出し始めた。紙皿の上に赤茶けた薄皮と、まだそれが付いたままの豆が増えていく。
「ハスキーの放浪癖さ、」
「はい」
 険のない夏野の声の合間に、殻の裂ける乾いた音が聞こえる。
 どうやら、全て剥き終ってから豆を食べ始めるつもりのようだった。
「あれは本当は自分に合った場所を探しに行くんだよ。元々家族や仲間を大事にする犬だからさ、もしそこが自分の居場所じゃないって感じたら、別の居場所を探しに出ていくんだ」
 牧本は少しだけ顔を上げた。
「自分に合った場所ですか」
「あれはもともと犬ぞり用の労働犬だからね。頑固で、独立心が強くて、それでも集団の中で生きたがる犬なんだよ」
 夏野の横顔には薄く酒精の気配が宿っていたけれど、彼の韜晦めいた言葉には醒めた理性があった。
 視線は僅かに彷徨って、夏野の指先を見る。落花生の割り屑の中から彼は豆を取り上げて、擦るようにして薄皮を外している。一つ、二つ。三つ。
「……夏野サンには、その場所、合ってなかった、ですか」
「どうかなあ、少し考えてた。私がそこにいてもいいのかなって。その時はね」
 牧本をして、次の問いをそこに向けることにはためらいを持たざるを得なかった。薄膜のような沈黙の中で、紙皿の上に裸の豆が増えていく。夏野が最後の豆に手をかける。
 ようやく牧本は言葉を生んだ。
「今は」
「私がそこにいたいんだって分かったから、戻って来たよ」
 視線に気づいた夏野が、食べるか、というように首をかしげた。
 牧本はすこし迷って、それから小さく頷いた。抱え込んでいた膝を崩して座り直す。その間に、夏野が剥き身の落花生の紙皿を間に置いた。
 一粒落花生をつまんで口に含んでいると、夏野は近くに置き去りになっていた酒器を引き寄せていた。そのまま手酌で盃に日本酒を注ぎ、口元を湿す。どうやらこのために落花生を剥いたものらしく、彼はまだ呑むつもりだと見えた。
「一口ください」
「君はこっちにしなさい」
 せがんだ牧本に、珍しく命令口調の夏野がお冷のグラスを押し付ける。



<END>



「……あの人たち、全部聞こえてるって気づいてるんですかね」
「夏野んは聞かれててもいいと思ってることしか喋ってないような気がしたけど、後半は……どうかなー……」
「ところで尾崎さんどこ行ったんです」
「奥で市瀬さんと対面で話し込んでる」
「梅先輩は」
「もくば鳴きを始めたから空閑さんが面倒見てる」
「その空閑さんは」
「秘密結社とNASAに関わる陰謀について講義を壁に」
「モルグ落成間近じゃないですかねそれ。……津田先輩は」
「雀ちゃんに日本酒呑ませたから……、…………」
「…………」
「酒は飲んでも」
「呑まれるな」
「「おあとがよろしいようで」」
どっとはらい。







初出:2014/11/28 http://www.twitlonger.com/show/n_1sipov2
改稿:2014/12/8
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