納屋の床上に散乱した野菜には、まだ土の湿り気が残っていた。
扉から差し込む陽光は明るく、作業小屋に佇む少女の髪を鮮やかに輝かせる。
「……やっぱり、嫉妬してたんだよね。きっとさ」
答えを期待しない口ぶりで、ウサギの系譜を持つ少女が言う。
野菜籠を置いた机にもたれて、朝に彼がかぶせたままの麦わら帽子のつばをいじりながら、
「本当、男の子同士って、どうしてあんなに仲良くできるのかな。
……ちょっと、違うよね。顔つきとか、声とか、さ」
それでもなお、視線はそこに留め置かれている。
「だから、かな」
彼女の見守る先で、彼が身じろぎした。
震える指が床をかき、言葉ともうめきともつかぬ声がくぐもった。
彼の大事にしていたゴーグルは、離れた場所に転がって、レンズにひびを入れている。
「ごめんね、痛いよね」
ゆっくりと数歩を少女は踏む。跪く。
伸ばした指先は、青年の濃色の髪を優しく梳いた。指先に血の粘りがまとわりつくのを気にもしない。
「わたし、もう野兎の姿になれないんだ。ウサギの王さまに見放されちゃった。
……仕方ないよね、こんな心じゃ」
少女から離れようと床を這う相手の姿に、彼女は見とれた。
指の太い、大きな手のひらが床に爪立てるように張る。幅のある、頑丈な肩が震えている。
逃げようとする体を押しとどめるように、指を滑らせる。頭から首筋。背中。 彼女の探る指先を、青年はもう、払いのけるだけの力を遺していなかった。
少女の指から伝わる感覚は、野暮ったい服の下に隠れているものをあらわにする。
その、骨太な輪郭を、彼女は思った。
夏日、彼が薪割りをしているところを盗み見たことがある。肩甲骨の滑らかに堅い輪郭、力をみなぎらせては弛緩する筋肉の束。滲んだ汗が滴っていく、その流れ方に、サクヒナは彼の少年時代が緩やかに終わっていこうとするのを直感したのだった。
過去の記憶の中から、薪を割る快音が響いた。
今、目の前にいるその青年は、既に致命傷を負っていた。
大きな腕も、逞しい背も、彼が彼である全て、それらが今、ゆっくりと生気を失っていくことに、甘い陶酔を覚えた。
旅のさなかでもなく。戦いのさなかでもなく。
思い浮かぶ数人の仲間たち、その誰もが傍らにいない、今、ここで。
彼女だけの目の前で。
「大丈夫だよ」
だから、口元に笑みが浮かんだのは、当然の帰結だった。
胸を甘やかに満たす感情を名づけるなら、確かにそれは一つの愛だった。世のなかにあるいずれの同類よりも歪ではあったものの。
先ほど、初めに使ってから床に置いたままだったそれに手を伸ばす。
「ちゃんと。とどめ、刺すからね」
ふと、青年のか細い息が、誰かの名前を呼んだ。
少女の目が一瞬見開かれて、そして、
もう一度だけ、鈍い音が響いた。
それきり、納屋からはもう何の音もしなかった。
初夏、まだ日も高い時分のことだった。
納屋に散らばった人参から、乾いた土くれがぱちりと落ちた。
<END>
初出: 2013/05/27
http://www.twitlonger.com/show/n_1rkgt6j