後小路ひよりvsカマキリ

 清水は、その一瞬、思考と判断を放り出した。
 後小路ひよりその人の孤独な戦いは、かくも余人には理解しがたいものだったので。


「 後小路ひよりvsカマキリ」


 ここは、少し離れれば雑草の繁茂おびただしい体育館裏。
 空は少しだけぼんやりとした青さで、夏の透徹には雲の濁りで届かない。
 そんな空の下、うちっぱなしの薄灰色のコンクリート上に、一人の小柄な少女がいる。
 膝をついてやや腹ばい気味の姿勢は、その人にしては珍しく、スカートへの考慮が薄かった。
 波打つ髪が地面をかすめそうなのにも構わずに、少女――後小路ひよりは緊張に体を張りつめさせていた。
 視線が向かうのはまっすぐ前方。
 睨み据える、という表現が適当な、それは真摯で強い眼差しだった。
 だから、清水は声をかけるのに数度ためらった。
 後小路は動かない。
 ただ、風が草を揺らす。
 清水はためらいをとうとう乗り越える。
 それでも遠慮は殺しきれず、声は小さなものとして、
「ひよ先輩」
 しっ。
 清水の努力に、だが後小路は振り返りもしなかった。
 清水を鋭く押しとどめ、
「黙って。これは、大事な戦いなんだよ……ここで逃すわけにはいかないんだ」
「――ひよ先輩!」
 清水は堪え切れず叫んだ。
 ここで言わぬわけにはいかなかった。
「カマキリ捕まえるならちゃんと虫取り網がありますから!確か理科室か畜舎の方に、」
「やだ!」
 強い声の、それは拒絶だった。
 カマキリとにらめっこを続けていた後小路が、強く首を振る。
 そのまま、膝をついたままの姿勢、清水に顔だけが向き直り、 
「だって小学校ではみんな素手でカマキリ捕まえたんでしょう!?ぼくやったことないもん!!だからここで戦わないといけないんだよ!」
「何でですか、何で戦いを避けることはできないんですか!」
「痛みと苦しみを乗り越えて人は大きくなるんだよ、それこそが青春のイニシエーション、苦痛をも伴う成長の階梯……!」
「カマキリと戦うことがそこまで!?今更じゃないですか!?」
「かつて、おじいさまに守られて戦いから逃げたぼくだからこそ、今ここで……!」
「戦うにしても戦い方を選びましょうよ!」
 あとひよ先輩はそのサイズが可愛いので大きくならないで欲しい。これは本当に。
「ううっとめないでしーちゃん……!これだけは、」
「いやとめさせて下さいよ!!!」


 ……少女たちのから騒ぎに止めを刺したのは、今一人の登場人物であった。
「――何やってるんです、二人とも」
 怪訝な声に、清水と後小路は揃って顔をそちらへ向ける。
「チュン子ちゃん」
「声が理科室の方にまで聞こえてきたんですよ。何をしているのかと思って覗きに来たんですけども」
 膝をついたままの後小路、その傍らに立つ清水。
 神社の少女の視線は二人を見比べると、何故か彼女は指先で頬を抑え、
「……これ詳細聞かない方がいい奴ですかね、」
「どういう意味ですかそれ!!!」
「カマキリを捕まえようとしてただけだよ!ぼくたちの戦いはこれからなんだ…!」
 いつのまにか清水も戦うことになっていたらしかった。
 ほんのりと穏やかな気持ちを得た清水をよそに、星見夜は眉をひそめる。
「カマキリですか」
「うん」
「非常に言いにくいんですけど」
 星見夜は形のいい指先で二人の背後を示すと、
「カマキリ、逃げちゃったんじゃないですかね……」
「え」
 揃って慌てて振り返るに、コンクリートの上にはもはや何もいなかった。
 青春のイニシエーションをくぐるのも、どうやら簡単ではないらしい。



<END>


初出:2015/08/19 http://www.twitlonger.com/show/n_1sn9ll2
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