節供



 二年参りの人波が一段落し、神社参道の屋台は早々と店仕舞いを始めていた。新年明け初めた夜更け、帰路を辿る人々の中を梅ノ木は歩いていた。立ち並ぶ石灯籠を照らし出す照明が、どこか白々しかった。
「あー。タコ焼き屋もリンゴ飴屋ももう閉まっちゃってる……」
 傍らでダッフルコートのポケットに手を突っ込んだ夏野が、いかにも残念そうなそぶりで呟いた。先程からずっと彼は道中の露店の一つ一つを眺めており、梅ノ木は意識の十分の一程を夏野の動向把握に割く必要に駆られていた。経験上、こういう時の夏野は幼児並みの瞬発力で突然消える。いつものメンバーであれば、尾崎がよくよく夏野(および津田)を見張っているのだが、今日は夏野との二人連れで、尾崎と津田は不在である。目を離すとどこかに行く連中が一人少ないのは悪くないが、見張り手も減っている。しかも、津田と違って声も掛けずにいなくなる方が残っている。
 もっともこの時間帯ならば、梅ノ木と夏野が互いを見失う羽目に陥るようなことはないのだけれど、それでも余分なところで神経を使わないに越したことはない。
「腹空かしすぎじゃねお前」
「仕方ないじゃん、食事してないんだもん。梅ノ木とは燃費が違うんだよ燃費が」
 真剣な眼差しで参道の左右に並ぶ露店を見渡す様子に呆れると、夏野は肩をすくめてみせた。
 燃費なあ、と呟く梅ノ木をよそに、彼はふと一つの露店に目を留めた。すぐに顔を輝かせ、
「あ、甘酒はまだ売ってる! 買ってきていい?」
「こんなタイミングでそんなもん飲むのお前」
「梅ノ木は肉に米っぽいものはダメ派?」
「甘酒は飯じゃねえだろ」
「尾崎みたいなこと言うなー!」
 含みもなく思ったままに応じると、何が面白かったのか夏野はからからと笑った。
 そうだ、と夏野はふと目を細めた。
 悪いことを思いついた猫のような顔だった。
「本人にも聞いてみようか。尾崎」
 梅ノ木は眉をひそめた。
 夏野は時たまに悪趣味だ。"遊び"を行動の推進力にしたときの行動力は目を見張るのだが、
「最期の言葉がそれはねーだろ」
 だからこそ、猫のように獲物をなぶるような事も忌避しない。
 そうかー、と萎れた様子もなく答える夏野の犬歯は、新年の夜の中で奇妙に尖っていた。
 そうだろ、と気のない様子で答える梅ノ木の犬歯は、同じく鮮やかなほどに尖っていた。
 それこそ、彼らが"同類"である徴<しるし>の一つだった。
 夏野はまだちらちらと甘酒屋の様子を見ている。道先の露店はもうまばらになっていた。
 梅ノ木は腕時計に目を落とした。見たところ余裕はないではなかった。
「買うなら早く買って来いよ、尾崎待たせたら悪ィだろ」
「まだ二十分もあるじゃん、よゆーよゆー」
「お前の時間感覚は丼勘定なんだよ」
 咎めに首をすくめると、夏野はいそいそと甘酒を買いに行った。
 店主と朗らかにやり取りをする様子を、梅ノ木は参道の端から見ていた。
 そうしていればこの夜の中であっても、夏野はただの少年にしか見えなかった。ひょろりとした体格と人懐っこい振る舞いは、むしろ無害さを印象付けるだろう。牙見せるような笑みも、人間の中では親しみを与える表情に転化するのだから、皮肉ですらある。
 この世の中に人狼が闊歩していることを、どれだけの人間が知っているのだろうかと梅ノ木は思考を揺蕩わせる。
 人喰いの異形が側で笑っていると知っても、彼らは変わらずに振る舞えるのだろうか。人喰いの実在が暴かれた時、彼らはどう振る舞うだろうか。
 その仮定に、もう少し色を加えようとした。その時。
 砂利を踏む音に、梅ノ木は現実に引き戻された。
「お待たせー」
 気の抜けた顔の夏野が戻ってきたところだった。手には薄く湯気たつ紙コップが二つ、いかにも温かげな様子だった。
「どしたんそれ」
「店仕舞いだからっておまけしてもらってね! 梅ノ木も飲みなよ」
「……じゃあ貰っとく」
 口に含むと熱すぎないぬくもりとともに、脳に染みわたるような甘味が来た。噛むには柔く、舌で潰すにはぬめる麹の粒が舌に残る。
 鳥居を出る直前に屑籠が設置されていたな、と来し方を思い出す。そこまでに飲み切ってしまおうと配分を考えつつ歩きながらすすった。
 甘酒を半ばまで消費したところで、夏野が思い出したように口を開いた。 
「私がとどめでいい?」
「また露払いかよ」
 "予行演習"のことを思い出して梅ノ木は口を横に伸ばした。
 夏野は涼しい顔で、
「私不意打ちの方が得意だし」
「フラグ感あるぞそれ。……服、場所は大丈夫だな?」
「OKOK」
 微細な最終確認が続いた。いずれも今更滞ることもなく、梅ノ木と夏野は互いに上出来と判断する。
 ふと、梅ノ木の懐でスマートフォンが震えた。一瞥した通知内容に彼は頷き、
「予定通り、だ」
「あとは現場で、と」
 移動の時間は十分だった。
 時は満ちた。
 大鳥居前の屑籠に揃って紙コップを投げ込めば、新年の深い夜が少年たちを待っている。



 ――尾崎の足を狙って襲い掛かった夏野が、仮借なく蹴り飛ばされた。背後から立ち木にでもぶつかったような音が響いた。
 低く苦痛に呻く声が耳に届いたが、梅ノ木はかけらも心配はしていなかった。あの声が出るなら問題ない。しばらくは動けないかもしれないが、ならば持ち場にやりがいが出るだけのこと。
 だから、集中するべきは眼前の相手だった。
 この月がしろしめす時の中、異形の力を得た体は、日中よりも余程良く動き、そしてよく見える。
 だが、それでも梅ノ木には圧倒的に足りないものがある。
 肉体を操ることへの経験値だ。自己の体を使い慣れているという意味で、梅ノ木もそして夏野も尾崎には届くまい。
 実際のところ、尾崎は喧嘩慣れした男である。同世代の中では体格に恵まれてもいる。
 それこそ、二人が尾崎を"第一の犠牲者"に選んだそもそもの理由だった。
 先程の夏野への対応を見るに、見込み通り尾崎は一筋縄ではいかない。それを現実として認識する。
 その認識は、荒々しい高揚をいや増す。
 あの程度でどうなるわけでもない筈だが、夏野はしばらく使い物にならない、一時的とはいえ盤面から降りた。
 だから、尾崎には梅ノ木一人で対抗しなければならない。
 場を膠着させて夏野の回復を待つという手もないではないが、時間をかけて尾崎を逃したのでは意味がない。
 思考は行動を伴い、梅ノ木は相手の逃亡スペースを塞ぐように位置を取る。
 相手の手を取ろうとするように一撃を振るい、手を伸ばし、捕らえようとする。
 相手の手を拒絶するように一撃を払い、力を受け流し、逃れようとする。
 攻め手とは、相手の手を取り続けようとすることに他ならない。
 相互の疲労の蓄積を勘案し。
 思考の余裕を奪い。
 相手の精神を、体を削っていく。
 削り切るか。逃れ出るか。
 これはそんなゲームだ。
 顎を引くと梅ノ木は牙をのぞかせた。それは狼の笑み、獣の威嚇。
 そう、ゲームだ。
 相互に力と判断を振り絞って競う、対価ある争い、これがゲームでなくて何か。
 梅ノ木は尾崎が腕を振りかぶるのを見た。
 この動きは何度か見た。拳がぶれない。
 フェイント――ではない。
 判断が深化するのは一瞬。
 梅ノ木の体は即座に対応した。
 身を沈める、拳の軌道より深く、一歩を大きく、踏み込む、懐に入る。
 そうすれば、伸びきった尾崎の腕は傍らにあり、梅ノ木はその勢いに添うようにして、腕を絡めとった。
 伸ばす勢いを押すようにすれば、尾崎の体はねじれたまま、バランスは悪く、
 ――獲った!
 会心の笑みが口の端に昇るのを自覚したまま、梅ノ木は尾崎の膝裏へと、思う様一撃を蹴り込んだ。
 決着。
 尾崎の体は、力の動きに従って地に沈み伏した。
「なあ尾崎!」
 梅ノ木は尾崎の顔を覗き込んだ。
 難易度の高いゲームは楽しいものだ。
 攻略の筋を描き試すことができるのならば、そして相手も必死にそれに抗い打ち手を探しているのならば、猶更。
 残りのメンバーの顔が脳裏に浮かぶ。
 牧本。津田。市瀬。星見夜。後小路。清水。東雲。空閑。
 ゲームの形はそれぞれに変わるだろう。自分たちの命だって、今とは違う形で賭けることになる筈だ。
 だが、この先にも、これと同質の高揚があるというのならば。
 己の口元が笑みとして吊り上がるのを自覚しながら、梅ノ木は問うた。
「――甘酒は、飯か?」
 なんのことはない。
 梅ノ木 一太もまた、夏野と変わりのない、"同類"なのだった。



<END>





初出:2015/04/26
初出:2015/06/08
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