マーブルカラード・アブストラクトゲーム

 授業に使われなくなったその教室には、古い机が雑多に並んでいる。仮の部室として調達されたその部屋の奥、まだ淡い光が落ちる土曜日の昼の窓際。一つの机に頭を突き合わせるようにして対面する少年たちがいた。
 痩せた長身を椅子の上に折りたたむようにして座るのは、空閑景史郎。茫漠とした視線が、今日はいつになく鋭い。
 他方、卓上に身を乗り出し、一抹の苦さを眼差しに湛えているのは夏野蜻蛉。いつもはぺらぺらとよく回る舌が、今に限って珍しく大人しい。
 厳しい眼差しをした彼らの間には、一枚の方眼紙がある。方眼紙自体は何の変哲もないものだった。文具購買ででも飼ってきたのであろう、そっけない小道具である。
 その方眼紙の上には、ある規則と二つの意志のもとに、二系統の色のマーブルチョコが並んでいた。同系色で団子になるようにして、いずれも方眼紙に印刷されたラインが直交する交点上へマーブルチョコが配置されている。おおむね正方形を形成するように四方に直交するように広がっている様子は、まるで虫食いのようだった。
 針でつつけば穴を開けられそうな沈黙の中、まず動いたのは空閑だった。彼は背筋の伸びた姿勢でもって、小皿に開けられたマーブルチョコから一粒を取り上げる。彼の内面で試行されていた手順が完成したのか、自信の深さがうかがわれるような落ち着いた所作だった。
 向かい合う少年が、気圧されるように息を呑む。
 空閑は相対者の反応に目を薄く細め、
「夏野」
「なんです」
 猫っ毛に赤い髪留めを挟んだ少年が、警戒心も露わに応じる。
「一つ、先達として教えよう」
「承りましょう」
 不承不承といった様子を隠さない相手に、それでも空閑の愉悦はとどまらなかった。うっすらと笑みの気配を感じる声が続く。
「死はハネにあり。こうして相手の懐を狭めることで、」
 音もなくマーブルチョコが方眼紙上の一群れに加えられる。
 夏野が眉を寄せ、目許をゆがめた。口元が苦く引きつれる。
「敵の首根っこを掴むことが出来る。どうだい、これは苦しいだろう」
「けーしろさん、実は芝居っ気たっぷりのSだよね」
 歯をむいて唸ると、夏野は彼のチョコ皿を掴んだまま、厳しい顔で方眼紙上のチョコ分布に目を走らせる。
 肘をついて食い入るようにチョコを眺める夏野と、それをじっと眺め下ろす空閑、――この一連の光景を、たまたま一人でこの教室にたどり着いた清水優花は、絶句したまま戸口で眺めていた。

 清水の絶句は、好手に感づいた夏野が勢いよく糖衣チョコを置いたところでようやく途切れることとなった。机をも鳴らすような快音、糖衣すら砕けそうなその一手で、清水の思考がようやく現実に復帰したのである。いつまでも戸口にいても仕方がないわけで、だから清水は一度大きく呼吸して己をアジャスト。あの、と声を整えてから、
「くー先輩。ナツさん。何やってんですか、それ」
「あ、清水ーよっすー」
 どうやらマーブルチョコと方眼紙を挟んで向き合うこの二人は、今に至るまで彼女の存在に気づいていなかったらしかった。己の手をさし終えた夏野が、気負いの抜けた顔で戸口に顔を向ける。
「夏野、それは答えてないよ」
 一方で、夏野と入れ替わるようにして方眼紙上を睨み始めた空閑は、平常と変わらぬ抑えた声音でたしなめ、
「やあ、みっちゃん。今は少々ゲームをしていてね」
 一瞬柔らかくなった眼差しで清水の方を一瞥しはしたものの、空閑の眼差しはすぐに方眼紙の上に舞い戻った。
 その様子を、にまにまと夏野が眺めている。空閑の痛烈な咎めに対して夏野が上手く相手の思考を出し抜いた手を指したものらしく、ノータイムでの対応とはならなかったようだった。清水がこれまでに把握してきた限りでは、この猫っ毛の上級生は、人の思考の埒外から一刺し見舞うことに多大な快楽を感じる性質とみえて、今回もその快感を存分に味わっているものらしかった。
 清水は、はあ、吐息した。この先輩方のペースに巻き込まれると話がまとまらない。もっと入力を明確化するべきだった。だから、
「改めて、何やってるんですか。もうちょい具体的にお願いします」
「囲碁を、ね」
 視線を方眼紙に落としたまま、空閑が答えた。
「マーブルチョコで?」
「囲碁を、ね」
 今度は頷きを含んだ語調で夏野が応じた。
「いい年して、食べ物で遊ばないで下さいよ……」
「大丈夫、ちゃんと食べるし」
「勝者が全部取りってルールでね」
 空閑が赤い粒を置いた。ころん、と軸が定まらず揺れる粒を、人差指で押さえて止める。
 夏野が呻く。瞳がせわしなく動いて、模索の視線が盤上を走り回る。清水には戦況が読めないが、どうやら空閑の追撃が夏野の予測以上に有効であったらしい。空閑は、普段はぼんやりとした雰囲気の最上級生だが、ことゲームを詰める話となると目の色が変わる。また一つアクセルを踏み込んだ、というところだろうか。清水は脳裏でそんな分析を動かしつつ、そもそもの疑問をぶつけることにした。
「そういう問題でもないような……チョコそんなに好きなんですか。両者めっちゃ必死ですけど」
 空閑が分かってないね、と含み笑う。
 清水に視線をやらぬまま、まさか、と油断のならない目で夏野も笑い、
「勝利が好きなのさ」
 少年たちは、盤面を挟んでにらみ合いながら、口元だけをにんまりと笑みの形にした。




<END>



初出:7/31/2014 http://www.twitlonger.com/show/n_1s2r1ir

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